代表兼職人:榎本 悟(えのもと さとる)

榎本 悟(えのもと さとる)

一級塗装技能士 塗装歴20年

■プロフィール
昭和50年生まれ
松原市で生まれる
松原市立部3丁目で育つ
松原東小学校卒、松原第六中学校卒
大阪府立東住吉高等学校卒
高校生の時に、父親の塗装店で塗装を習う
19歳から本格的に塗装見習いとして働く
塗装技術習得後、いろんな塗装店へ就職
その他、塗装関係の訪問販売、官公庁陳情を経て
1998年に南大阪ペイントセンターを創業

現在、地元エリアを中心に、職人として現場へ出たり、お客様の応対などを主な仕事にしている。
妻と子供4人の家庭を持つ

■南大阪ペイントセンターの代表である前に塗装職人です。
南大阪ペイントセンターの代表である前に塗装職人です。 南大阪ペイントセンターの代表である前に塗装職人です。
■資格

・厚生労働大臣認定 一級塗装技能士
・窯業サイディング塗替診断士
・(社)住宅保全推進協会認定 外装劣化診断士
・(社)雨漏り検診技術開発研究所認定 雨漏り検診アドバイザー
・有機溶剤作業主任者
・高所作業車運転士

南大阪ペイントセンターのお客様 南大阪ペイントセンターのお客様
南大阪ペイントセンターのお客様 南大阪ペイントセンターのお客様

私の父は、ペンキ屋。

私は、大阪で、塗装職人の父親の元に生まれました。
父は毎日忙しく、早朝に出ては深夜に帰ってくるの繰り返しで、
休日はほとんどありませんでした。

ですから、父に遊びにつれていってもらった記憶はありません。
しかし、外壁塗装の現場にはよくつれていってもらったものです。

その外壁塗装現場にいくのが、楽しみでした。
なぜなら、幼い子供だったからなのか、いろんな知らない土地に行くことができたからです。
移動には、オンボロの塗料のつんだ特有のにおいのする車です。
でも、私は、塗料のにおいが大好きな子供でした。

そんな父親が、毎日、忙しく働くのには、理由がありました。
お父さんが、病弱のため入院をしていてお金が必要だったからです。
安月給の職人なら、がむしゃらに働くしかありません。

父は、和歌山県の白浜町で生まれました。
5歳の時に、 母親をなくしてしまいました。
原因は、漁にでた船があら波にのまれ転覆。

小学生だった父は、小学校にはいきませんでした。
なぜなら、給食費を払うことができないほどの貧乏だったからです。
3度のめしもろくに食えず、近所の畑から野菜や果物を盗むこともあったそうです。

中学の時に父親が入院、その後、孤児院での生活だったそうです。
そんななか誓ったそうです。
「大阪へ出て、お金を稼いで、お父さんの病気を治してらくさせてやる」と。

大阪で外壁塗装職人になった父は、人筋縄ではいきませんでした。
職人の世界は、本当に厳しかったようです。

少しのミスをすれば、なぐられたり、ひどいときには、はしごがとんできたり、
さらに、技術もなかなか教えない、そんな世界だったのです。

しかし、がむしゃらに働いたかいがあり、
また、人間関係が得意な父は、なんとか技術をマスターし、
5年後に独立、若くして、小さいながら、
社長として外壁塗装業をスタートさせました。

それから、創業40年。

そして、私も、父の思いと自分の思いを形にした
「南大阪ペイントセンター」を13年前に自分で創業しました。
現在に至る。

塗装屋になるのを夢みていた私

さて、私の話にもどりますが、

塗料のにおいの大好きな私が、さらに楽しみだったことは、職人さんを見ることです。
現場にいつも、ついていって、よく職人さんが外壁塗装しているのをボーッとながめていました。

テキパキ動くし、手ぎわよく塗るのです。
いつしか私は、
「かっこいいなぁ!僕も大きくなったら、いつか塗装屋さんになるんだ!」
と心に決めたのを覚えています。

それから、10年・・・。

私は大きくなり、高校を卒業。
親の会社に入社しました。
実は、あまり入りたくなかったのを覚えています。
もちろん、子供のころの夢のことはすっかり忘れていました。

塗装とは何かを思いしらされた事件

職人を3年ほど経験し、一通りの外壁塗装の技術を学んだ私は、
父親にある現場をまかされることになりました。

それは、和歌山県の山奥の町にある小さな学校でした。

私は仲間たちと外壁工事を開始し、外壁の洗浄を終えたところ、
社長である父親が来て、すぐに私に駆け寄りました。

「なにやってんだ!これじゃあ、まったくだめだ!」

実は、外壁塗装をする前に外壁の洗浄という工程があるのですが
洗浄が不十分なことに腹をたてているのです。
もちろん、私の経験上、このままでも、大丈夫と判断したことです。

ですが、そのことで、父親と口論になりました。
しかし、すぐに決着はつきました。
「おまえは、目先の仕事しかしていない」
「我々の仕事は、外壁塗装で建物の寿命をのばすことだぞ」
「やるからにはしっかりやれ」

私は、「はっ」としました。
そして、ハンマーで殴られたような衝撃が頭の中をかけめぐりました。
そして、今まで、やってきたことが、ガラガラと音をたてて崩れさるのがわかりました。
私は、今まで、「塗ることしか目的」になかったのです。

正直に告白すると
「その場で外壁がきれいになればよい」としか考えてなかったのです。
若かったせいか、寿命のことなど、一切考えてなかったです。
しかし、それは大きな間違いだと気づきました。

この事件の結果、私は、外壁塗装のいろんな教えをいただきました。
本当の外壁塗装というのを学ばせてもらったような気がします。
このことに気づかせてもらってからは、しっかりとやらなければというよりも、
こころの底から、しっかりやりたいという気持ちが、ふつふつとわいてくるようになりました。
不思議なもので、外壁塗装で手を抜くよりも力をいれる方が楽しくなっていました。

その後、その小さな学校は、しっかりと時間をかけて外壁塗装させていただきました。
ただ、その学びは、仲間たちに伝わったかどうかはわかりません。

あとから、私の母に、聞いた話ですが、
実は、その学校は、父が昔、通っていた孤児院だったのです。
すごく、お世話になったということで、父の会社も、
大変な時期だったのですが数百万かけて、
外壁塗装や室内塗装などを無料で奉仕させていただいたようです。

どこから、聞きつけたかのか、
和歌山では大きな紀伊民法という新聞社が取材にきました。
その後、その件で、和歌山県の知事に父親が表彰をされました。

それは、大きな世界の中のほんの小さな事で、たいしたことではありません。
ですが、それは私にとっては、すごい立派なことだと尊敬しています。

子供のころの夢を思い出し、生涯の仕事として塗装業をやれると幸せだと思っています。
そして、父の思いを継ごうとこころに決めています。

そして、まだ誰にも、話はしてませんが、孤児院の外壁塗装奉仕作業、
私が引き継いでいきたいと思っています。

フリーダイヤル0120-306-912